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「あの時」を振り返って。
みなさん
こんにちは。
森岡です。
今日は3月11日です。もはや説明は不要ですね。
昨日のNHKの特集では震災から8年を迎えるにあたり
帰宅困難地域の家屋の解体や仮設住宅の無償支援打ち切り、
土地の放射能汚染、そして「孤独」といった問題が山積している日本の現状を報じていました。
普段は目にすることのない現実を知ると
我々の生活など、本当に恵まれすぎにも程があると感じます。
地震があった当時、私はちょうど30歳でその1週間前の3月4日に
柔道整復師の国家試験が終わり、自己採点で合格点に達していたのですっかり安心していました。
そして3月で専門学校を卒業する前に、歯の治療かクリーニングを
入念にやっておこうというセコい考えで、
葛西にある、専門学校が運営する歯医者に向かって東西線の日本橋で電車を待っていました。
(学生は無料で歯科を受診できるので「学生のうちに!」と思いまして)
突然「ビーーーーー!!!」というような
今まで聞いたことも無い警戒音のような音が鳴り、
最初は「人がホームから落ちたのかな?」と思うくらいの時間が20秒あったと思います。
その後、ホームがグラグラと強烈に揺れ出しました。
私の隣にはアフリカ系の女性が並んでいて笑顔で「地震、地震」と
「すぐに収まるよ」という雰囲気で余裕の表情で教えてくれましたが、揺れが全く収まりません。
地下鉄の駅にいることから本能的に「外に出られなくなるかも」という恐怖感を感じて
私は急いで出口へ向かいました。
外へ出るとたくさんの人が車道まで出て焦った顔で周囲を見渡しています。
やはり本能的に建物の中にいると崩れてくるのではないかと恐怖を感じてみんな外に出てきていました。
そして上から何か落ちてこないかが気になってみんな空中を見上げています。
最初の揺れから短いスパンで何回も何回も余震が発生して
それに合わせて日本橋から銀座辺りのビルというビルが大きく揺れていました。
家族に電話だ!と思って携帯を掛けてみてももう完全に回線はパンクです。
大きな地震があったけどこれは東京で発生したのか、どの程度の規模なのか
全く情報がわからないので「気持ちを落ち着けよう」と、
私は近くにあったベローチェという喫茶店に入りました。
今から考えると普通に営業していたんですからすごいどころじゃないですね。
携帯電話は使えないけどワンセグでテレビを見ることができたので
そこで始めて東北で地震が起きたこと、ほぼ東日本全体が揺れて
交通機関が全く機能していないことが分かりました。
結局約5時間ほど掛けて歩いて自宅まで帰りましたが、
今でもその時の光景ははっきりと覚えています。
長くなりましたので木曜日に続けさせていただきます。